嗜好品文化研究会


平成22年度第2回研究会

「パプアニューギニア高地人にとってのサツマイモ」梅崎昌裕

ゲスト講師●梅崎 昌裕/うめざき まさひろ●東京大学大学院医学系研究科 准教授。専門は人類生態学。パプアニューギニアの都市と農村、中国・海南島でのフィールドワークを通して、人類集団の適応システムが、近代化・グローバル化・都市化・自然環境の劣化・市場経済化・医療技術の発達などによってどのように変容しつつあるのかを研究している。



嗜好品とは何か?
 嗜好品とは、一言でいえば、楽しむものである。生きるために食べる、飲む、吸うというよりは、楽しむために食べ、飲み、吸うものである。私は、人間が文化的な存在である以上、どの人類集団にもそのような嗜好品があるのだと考えていた。ところが、私が調査したパプアニューギニア高地の人々は、朝も昼も夜もサツマイモばかり食べて暮らしていた。その食生活には、私がイメージするような嗜好品は存在しなかった。サツマイモは生きるために食べるのであって、人々が、それを楽しみ、こだわっているようにはみえなかった。
 しかし、調査のために住み込み、私も実際にサツマイモを食べながら暮らすうちに、自分の考えが少しずつ変わっていった。サツマイモだけを食べるといっても、実際には20もの品種が栽培されており、人々はその味の違いを明確に認識していた。新しい品種をとりいれ、自分の畑になるべくいろいろな特徴をもったサツマイモを栽培することに、人々は熱心であった。楽しみ、こだわりながら食べるという意味では、サツマイモにも嗜好品としての特徴が内包されているのではないか。しかしながら、その嗜好品のありかたは、私がもっていた嗜好品に対するイメージとは異なるものである。
 人類の生活は、空間的に多様であるだけでなく、時間的にも多様である。ところが、私たちの想像力は自分の経験あるいは社会の常識に強く制限されるため、その多様さを十分に理解しているとは言い難い。たとえば、弥生時代の稲作について、私たちがイメージするのは、整然と畝のたてられた水田に、青々とした稲穂のなみうつ様子である。それは、自分たちが水田をみた経験から外挿されたものであろう。しかし、当時の稲作は現在のそれとは似て非なるものであり、水田のなかには雑草が繁茂して休耕地となった部分と、稲の生育する部分が雑然と共存する景観を呈していただろうと指摘する専門家もいる。また、縄文時代の狩猟採集生活には、男がイノシシなどの大型動物を捕らえて肩に担いで村に帰るというイメージがあるが、実際に狩猟採集の対象として重要だったのは、おそらく虫やネズミなどの小動物だったはずだ。要するに、ものごとを理解するためには、自分の常識を離れて、想像力の幅を大きくする作業が必要となる。
 このような作業は「嗜好品」を理解するためにも重要だろう。私のイメージでは、嗜好品とは、ご飯を食べた後にお茶を飲みながらつまむようなもの、友人としゃべりながら飲んだり、吸ったりするものであり、生きるために食べるものではない。だから、お米や小麦のような主食とよばれるものは、普通、嗜好品とはみなさない。ところが、パプアニューギニア高地の人々にとってサツマイモは、生きるために食べるものであり、また楽しみ、こだわるものである。ここでは、嗜好品についての自分の常識からひとまず離れ、パプアニューギニア高地の人々にとってサツマイモは嗜好品としての特徴をそなえていることを主張したい。そして、人類にとっての嗜好品の萌芽について考えてみたい。


パプアニューギニアという社会
 パプアニューギニアはこれまで数多くの人類学的な研究がおこなわれた地域である。ニューギニア島と周辺の島々で構成されており、オーストラリアの北側に位置している。ニューギニア島の中央部には南北に国境線が走り、東側がパプアニューギニアという独立国、西側がインドネシアのパプア州となっている。現在は週に2回、ニューギニア航空の定期便が日本から飛び、6時間半で行くことができる。
 人口は650万で、公用語は英語とメラネシアピジン語である。それ以外に800以上の言語が話されており、1つの言語を話す人口は平均すると約8,000となる。近年、金・銅・石油・天然ガスの鉱山開発が盛んであり、そのほか、コーヒー、茶、バニラ、カカオなどの農産物と、エビ、マグロなどの水産物が輸出されている。ニューギニア島の中央部にある標高1,200メートルを超える地域には、高密度で人々が居住しており、高地とよばれている。高地では、サツマイモが主食とされる。


ニューギニア高地(タリ盆地)フリ族のサツマイモ生活
 私が調査のために住み込んだのは、南高地州にあるタリ盆地である。ここにはフリ語を話す人々が居住している。ニューギニア島は首都ポートモレスビーおよび商業都市であるレイを中心として発達してきた経緯があり、そのいずれからも遠いタリ盆地は近代化の影響が相対的に少ない地域だといえる。
 タリ盆地の生活で重要なのは、サツマイモとブタである。人々は全ての畑でサツマイモを耕作し、総摂取エネルギーの70%以上をサツマイモでまかなっている。作ったサツマイモのうちの4割を人間が食べ、6割がブタのエサとなる。サツマイモの消費量は、1人1日あたりおよそ2キログラム、1年間で700kgとなる。大量のサツマイモを与えて飼養するにもかかわらず、ブタはめったに人々の口に入らない。ブタからのタンパク摂取量は1日当たりわずか10gである。
 これほどに大量のサツマイモを生産するには、集約的なサツマイモ生産技術が必要である。この地域のサツマイモ生産性は、1ヘクタール当たり10〜15トンである。この生産性が、化学肥料や殺虫剤などの現代農業技術に依存することなく達成されていることは特筆すべきことである。  集約的なサツマイモ農耕が成立した背景には、いくつかの偶然もある。いまからおよそ400年前にニューギニア島の北岸にある火山が爆発し、大量の火山灰が高地にふりそそいだ。そこに、300年前、南米原産のサツマイモがヨーロッパ経由で入ってきた。高地の気候条件と土壌はサツマイモの栽培に適していたために、地域の人口支持力は改善し、それ以来、人口は20から30倍に増加したと推定されている。

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サツマイモ畑の様子
sweet_potato_field  サツマイモは、直径が3メートルほどのマウンドに植えられる。マウンドをつくることは、タリ盆地におけるサツマイモ耕作技術の重要な要素である。マウンドに大量の草を鋤き混むことで土壌を肥沃にし、また土壌水分量をサツマイモ耕作に適した状態に保つことができる。マウンドに鋤きこむ草は重要な資源である。したがって、タリ盆地の女性は、畑の周辺に生える雑草を肥料になる草とならない草に区別し、後者だけを選択的に除草する。無造作に生えているようにみえるサツマイモ畑の雑草は、実は人間の厳格な管理下にあるのである。
 サツマイモ畑の周囲に生えている樹木は、男性によって管理されている。タリ盆地の男性は、自分がサツマイモの生産性に寄与すると信じる種類の樹木を、自分の畑に植えつける。また、サツマイモの生産性に寄与しないと信じる種類の樹木が自分の畑に生えてくると、それを引き抜く。タリ盆地のサツマイモ畑に生える草と樹木は、自然に生えているものでなく、サツマイモの生産性を増加させるためという目的のために、人為的に選択・管理されたものである。


ブタの重要な役割
 ブタは、6,000年ほど前に東南アジアから入ってきたものである。一世帯あたり4、5匹が飼養されている。ブタは、めったに食べられない貴重な動物性タンパク源であり、とてつもないご馳走でもある。一方、ブタは重要な交換財である。たとえば、結婚に際しては、男性側の親族が女性側の親族に、平均して成熟したブタ18匹と子どものブタ9匹を贈ることが必要とされている。また、この地域で頻発する部族間の争いを終わらせるための手段としてもブタがつかわれる。たとえば、争いで死亡した個人の補償として、その原因をつくった個人より180匹以上のブタが贈られる。ブタは、補償すべき個人の親族が協力して拠出し、補償されるべき個人の親族によって分配される。ブタは、小さな争いを終わらせるためにも使われる。


多品種のサツマイモを栽培する理由
enjoy_variation.jpg  サツマイモはたいてい灰焼きにして食べる。家の中で、まずイモの皮をむいて、遠火で表面をパリパリに乾かす。表面に薄く火が通ると、灰の中に埋めて加熱する。そうすると、外はパリッと、中はしっとりした焼きイモができる。
 私が調査した1994年時には、およそ20種類のサツマイモが栽培されていた。品種は常に更新されており、品種によるバリエーションがきわめて大きい。当初、私の興味は、なぜ20品種ものサツマイモが栽培されるのか、そこに何らかの機能的な意味があるのか、という点にあった。たとえば、食味に優れない品種でも天候不順に強いあるいは生産性が高いなど、それぞれのサツマイモ品種が異なる特性を備えることが多品種栽培の目的であると考えた。しかしながら、この仮説はタリ盆地の人々には全く受け入れられなかった。
 そこで、手始めに、タリ盆地でどの品種がおいしいと考えられているかを確認してみようと考えた。私自身が、20品種のサツマイモについて、それぞれの食味を評価し、好みの順番にならべた。それがタリ盆地の人々の平均的な好みとどのように違うか、性別あるいは大人と子どもでどう違うかを調べようと試みた。しかし、この調査は全く成功しなかった。なぜならば、「どのイモが好きか」と訊いても「特に好きなイモはない」との答えが返ってくるからである。人々の説明によれば、「同じものをずっと食べていると嫌いになるし、たまに食べるとどれもうまい」、だからさまざまな品種のサツマイモを栽培するのだと言う。何人もの人に確認したところ、やはり、おいしいサツマイモの品種とおいしくないサツマイモの品種という区別はないとの答えがほとんどであった。「私たちはサツマイモばかり食べているから、いろいろな味のサツマイモを食べるのが大事なのだ」そうだ。コンドカンデビという品種は、苦くてべちゃべちゃのサツマイモであり、私にとっては全くおいしく感じられなかった。ところが、その品種を他のサツマイモを一緒に食べると、喉の通りがよくなるので、どうしても必要なのだという。
 また、年配の人に「昔、栽培されていたサツマイモは、どの品種か」ときいたところ、「昔のサツマイモは一つ残らずなくなった。すべて品種が入れ替わった」という答えであった。彼らは新しい品種に興味がある。なぜならば、ずっと同じ品種ばかり食べていると飽きるからである。よその地域を訪れた際には、自分たちの持っていないサツマイモの品種をみつけて、その蔓を持ち帰ってくる。通常、サツマイモの蔓は、無料でやりとりされるものであるが、よそから持ち帰った新しい品種の蔓は有償である。この地域で1975年におこなわれた調査報告には、51品種のサツマイモが記録されている。そのなかで、1994年の調査時点で残っていたのは2つだけであった。
 日本の食生活ではいろいろな種類の食品が登場する。それに対して、タリ盆地ではほぼ全ての食事で、サツマイモだけを食べる。想像をたくましくすれば、確かに同じ味のサツマイモばかり食べるよりは、少しでも味の異なるサツマイモを食べることに楽しみをみいだすことも可能だろう。食物のバリエーションが限られた状況において、それを楽しむために、より微細な違いに注目し、そこにこだわること、これがタリ盆地においてサツマイモが「嗜好品」的に扱われていることの一つの根拠である。


サツマイモに含まれるタンパク質
 本稿の目的とは少し離れるが、サツマイモ食の栄養学的評価について、すこし付け加えておきたい。医学的に考えると、サツマイモばかり食べているとタンパク質が不足するはずである。日本のサツマイモには、100g当たり1.2gのタンパク質が含まれている。したがって、サツマイモを1日に2kg食べた場合のタンパク摂取量は24gである。これは、人間が1日に摂取すべきタンパク量に比較すると不足である。なぜ、パプアニューギニアの人々がサツマイモに依存してタンパク欠乏症をおこさないかという問題については、これまでにもさまざまな仮説が検討されてきた。私の発見のひとつは、パプアニューギニア高地で栽培されているサツマイモ品種には、質のよいタンパクが多く含まれているということである。日本のサツマイモに比べると、タリ盆地の主要なサツマイモ品種は、質を考慮したタンパク含有量がおよそ2〜2.5倍も高かった。結果論ではあるが、このような品種のサツマイモは、人々の絶え間ない品種更新の熱意によって選ばれてきたのである。


食生活に内在化した嗜好品のあり方
meaning_of_variation.jpg  ここで、人類にとっての「嗜好品」というテーマにたちかえってみたい。パプアニューギニア高地でサツマイモに依存した生活をおくる人々が教えるのは、食生活に内在化した嗜好品のあり方である。図に示すように、嗜好品の対象となる食品と、嗜好品でない食品(たとえば、主食、おかずなどと呼ばれるもの)は、必ずしも別々のカテゴリーに分類される必要はないだろう。パプアニューギニア高地における経験から強弁するならば、タリ盆地におけるサツマイモは、エネルギーあるいは栄養の源としての意味と嗜好品としての意味を兼ね備え、二つの円が重なる領域に存在するものともいえるのである。ただし、外的要因によってパプアニューギニア高地の食生活が多様化し、外来の嗜好品が入ってくると、サツマイモの品種ごとの違いという微妙な差異は、その意味を失い、サツマイモは嗜好品としての特徴を失うだろう。
 人類の歴史に位置づけるならば、現代社会は食品のバリエーションが大きい社会だと思う。私たちが「パプアニューギニア高地の人々は、サツマイモばかり食べていて、かわいそうだ」と感じるのは、現代的な食の価値観にたって、それを評価するからである。それぞれの人類社会のおかれたコンテクストで考えれば、サツマイモの中の品種のバリエーションを楽しむこともありうるのだと思う。ただ、タリ盆地のサツマイモ生活に浸っていながら、4ヵ月後に町に出た途端、急速にサツマイモへの関心を無くしてしまった私のように、強烈な嗜好品が登場すると、繊細な感受性はたやすく消えてしまう。それが、人類が経験してきた日常の食生活と嗜好品の分化の大きな流れなのかもしれない。
(2010年9月25日)