嗜好品文化研究会


平成23年度第1回研究会:美意識にまで高められたルール

「茶の湯 その様式美」 谷 晃

ゲスト講師●谷 晃/たに あきら●茶の湯文化史研究家であり公益財団法人野村文華財団 野村美術館館長。1944年生まれ。芸術学博士。京都大学史学科卒業、出版社、香雪美術館勤務を経て、現在、茶道具を中心とするコレクションの質の高さで有名な野村美術館の館長。著書に『茶会記の風景』(河原書店1995年)や『わかりやすい茶の湯の文化』(淡交社2005年)など、茶の湯や日本文化史に関する研究書と啓蒙書が多数ある。



茶の湯の結座性
 嗜好品研究会でこれまで研究してこられたように、世界にはさまざまの嗜好品があり、それぞれの社会でそれを嗜むために集まるという現象がみられるが、嗜好品を嗜むために集まった集団の中でのルールが様式美にまで高められた一つの例として、日本の茶の湯がある。
 茶の湯の集まりは、単なる同好の士の集まり、寄り合いではない。この集まりは時間・空間を共有している。空間的にただ一時一緒にいるという意味ではなく、その場に集まる人々との共存感覚があり、それが時間的に過去・未来につながっている。超越した存在への敬慕の念の継続感を共有していると言える。超越した存在というのは、もちろん千利休(せんのりきゅう)のことである。そしてもう一つ、そこに集まった人々は、その場におけるある種の規範を相互に容認し、共有していて、一体感を持っている。そのことを、一つの座を結んでいる、結座性が存在している、という。その状態のことを「一座建立(いちざこんりゅう)」という。
 その規範がどういうものかというと、「侘数寄(わびすき)」という理念があって、それに基づく立ち居振る舞いの作法の心得と、そこで用いられる道具の鑑賞態度、そしてそこでの会話のあり方、「数寄雑談(すきぞうだん)」である。
 茶の湯の席での結座性の要件というのはどういうものか。それを、『山上宗二記(やまのうえそうじき)』と谷川徹三(1895~1989)の『茶の美学』を参考に私なりにまとめると、四つの要件がある。山上宗二(1544~1590)というのは、千利休の第一の弟子と自称する堺の町人で、その人が当時の茶の湯の様子や使われていた茶道具等について記録した書物が『山上宗二記』である。記録の中には、ほかのこともいろいろ書かれていて、当時の考え方が現れている。『茶の美学』は今から60年くらい前に書かれた茶の湯についてのエッセイである。
 第1は、山上の言葉でいうと「覚悟」、谷川のいう「社交」である。わかりにくいと思うので、私のことばに言い直すと、その集まりでの「規範の容認」ということだ。第2は、山上の言葉でいうと「禅」である。発生的には禅であるが、必ずしも禅宗でなくても他の宗派でもよいだろう、谷川は広くそれを「宗教」といっている。私はさらに広く「自らの生きざまを追求する心」であると考えている。第3は、山上の言葉でいうと「歌心(うたのこころ)」、谷川のいう「儀式」である。私の言葉でいうと「風躰(ふうてい)の追求」である。当時は、連歌という、前の人の作った歌を受けて、自分の歌を作り、次につないでゆく文学同人会のようなものが流行っていたのだが、茶の湯もそういうスタイルをベースとする、ということだ。第4は、山上の言葉でいうと「目聞(めきき)」、谷川のいう「芸術」である。私は「美の追究」と読んでいる。これは茶の湯で使う道具を見る審美眼のようなものである。真贋を判定する能力ではなくて、「侘数寄(わびすき)」という美意識と、それに基づき、その場に叶った茶道具を選ぶ能力、選ばれた茶道具からその心を読み取る能力である。
 この四つの用件に加えて、私は「遊興性、遊び心」ということを加えるべきではないか、と考えている。特に現代において茶の湯をやっている人たちは、楽しいからやっている人が多い。発生当時にもその要素があったはずだ。それで、私は茶の湯には五つの性格があるとして、「社交的性格」「修業的性格」「儀礼的性格」「芸術的性格」「遊興的性格」と説明している。


侘数寄という美意識
 茶の湯の席での結座性の核となっている「侘数寄(わびすき)」という理念、思想、美意識とはどのようなものかというと、『山上宗二記』では三つの基準があるとしている。一つめは「なり」、すなわちかたち・すがたの良さ、二つめは「ころ」、すなわち大きさ・比率・バランスの良さである。例えば、茶碗の口径と高台の大きさは、現在計測してみると一定の範囲内に収まる。そして三つめは「ようす」、それぞれの茶道具が持っている雰囲気のようなものである。
 この「侘数寄」という美意識の属性を、哲学者久松真一(1889~1980)は、『茶の精神』(1948、のち『茶の哲学』講談社学術文庫1987)で、七つ挙げている。これを見れば、西洋の美意識とは全く異なることがわかるであろう。
  1. 不均斉(均斉とは、格式ばった几帳面さ、端正さ、「真」の完全、釣り合いの取れている美しさであり、不均斉とはその否定であり、くだけた、破れた、ひずんだ、不釣合い、奇数の、草のものの美)
  2. 簡素(複雑・繊細・精巧・典雅・崇高・くどくどしさの否定としての、単純・麁相(そそう)・素朴・野趣とかいうようなものの美)
  3. 枯高(ここう)(若さ・生々しさ・優美・豊かさ・はなやかさなどの否定としての、ふける・たける・枯れる・やせる・艶消し・寂びるといったようなものの美)
  4. 自然(じねん)(技巧的・意識的・人為的なものの否定としての、たくまない・わざとらしくない、うぶな・無心・無念というようなものの美。この自然とか無心とか、無念は、決してナイーブなそれを意味しない。)
  5. 幽玄(ゆうげん)(あらわなとか、明らかなとか、鋭利とか、尽くとかいうものの否定としての、蔽う・隠れる・暗い・漠然・鈍重・含蓄・余韻・奥床しさの美)
  6. 脱俗(高貴・富貴・快楽・幸福などの現実的価値のみならず、仏にも祖にもかかわらぬ、なんのこだわりもない自由の美)
  7. 静寂(賑やかさ・繁忙・さわがしさ・動きなどの否定としての淋しさ・孤独)
 そして、これらがすべて整うと、「侘数寄」としてよいものとされる。そのことをもって茶の湯に様式美がある、といえるか、ということだが、「様式」とか「美」という概念は西洋の考え方であって、東洋ではあまり意識されず、日本では明治以降に使われ出した言葉であり、考え方なので、茶の湯に関してそういうことに言及した書物もない。一定の形式的特徴で総合された美が様式美だとするならば、茶の湯には「わび」を基とした様式があり、「わび」に基づく美が存在すると認められるから、茶の湯に様式美がある、といえるだろうと私は考えている。ただし、その様式美は、西洋の思想ではとらえにくい、と言っておかなければならない。というのは、茶の湯における様式は、具体的に目に見える単なる「形」の様式ではなく、やや抽象的な、すべての感覚を総動員して感じ取るべき「型」として把握されるべきものだからである。


侘数寄の成立過程
 茶の湯の集まりと、それを規定する様式美は、どのようにして成立したものだろうか。
 抹茶は12世紀末に宋から伝わり、禅僧が座禅をするときの眠気を払うものとして用いられたが、やがて嗜好品として楽しまれるようになり、あちこちで栽培されるようになる。その茶の味をみんなで飲み比べて、最上質と言われる栂尾(とがのを)の茶か、別の産地の茶かを当てたり、4種類の茶を飲んで産地を当てる遊び、「闘茶(とうちゃ)」が14世紀に盛んになる。やがて集まりの性格も、寄合性から結座性へと変化する。そして、その集まりをする専用空間としての「茶室」、専用器物としての「茶道具」、そして独自の身体芸術としての「点前(てまえ)」の3つの要素がそれぞれ成立し、それを統一した「茶の湯」という概念がほぼ成立する。それが16世紀である。
 茶の湯に先んじて盛んだったのは、連歌の集まりであった。それは「歌数寄」と呼ばれており、茶の湯の集いはそれと区別するために「茶数寄」と呼ばれるようになった。その場を規制する美意識「侘数寄」が整備されていき、「侘数寄」からもたらせられた美意識である「わび」で、茶室・茶道具・点前のあり方が規制され、かつ統一・総合され完成するのが16世紀後半、だいたい1580年ごろである。初期に活躍したのが村田珠光(むらたじゅこう1423~1502)、整備期に活躍したのが武野紹鴎(たけのじょうおう1502~1555)、完成期に活躍したのが千利休(1522~1591)である。
 千利休は秀吉に切腹を命じられるが、完成された「わび」という美意識は、型として、その弟子の古田織部(ふるたおりべ1544~1615)、小堀遠州(こぼりえんしゅう1579~1647)や利休の孫である千宗旦(せんのそうたん1578~1658)たちに継承されていった。型の継承に大きな役割を果たしたのが、利休の子孫である3つの家(表千家、裏千家、武者小路千家)で、型を継承していくことを決めた「家元制度」である。今日では、家元制度が世襲のヒエラルキーであるところからいろいろ批判もあるが、家元制度があったからこそ、古いものごとが継承されたということができ、それなしには継承されえなかっただろうと思われる。


「わび」の美の特質
 最後に、茶の湯における「わび」の美とはどういう特質を持ったものか、まとめておきたい。
 第1に、茶の湯というものは、茶室という建築の全体及び部分、用いられるそれぞれの茶道具・点前という行為の全体と部分には、何ひとつ無駄なもの無意味なものはなく、すべて明確な用途あるいは目的があって、それらの用途・目的が統合されて初めて機能するということである。
 第2に、茶室・茶道具・点前は、相互に協力補完しながら、全体として茶の湯における「わび」の美を形成するということである。
 第3に、茶の湯には亭主と客が必要であり、しかも能などにおける演者と観客の区別は存在せず、ともに「わび」の美を創出する主体であり、同時に鑑賞者でもある。
 第4に、茶の湯は非日常的な狭い空間において「一味同心」し、数奇雑談をすることで「一座建立」すなわち茶会が完成し、茶室・茶道具・点前、それと主客が一体となって「わび」の美を具現し、それを共有する、ということである。
 第5に、以上のために各自が五感を総動員して、総合的に認識する、ということである。


[質疑応答&総合討論]

栗田 茶の湯のことは日本では一種の一般教養なので、専門家に聞くと、あまり疑問を持たずに身体で覚えておられたり、歴史的なことを知らずにやっておられて、教えてもらえなかったり、そんなことも知らんのかと呆れられたりして、なかなか聞きづらいものだ。今日は、歴史家として茶道研究をしておられる谷先生だから、あまり恥ずかしいと思わずに、メンバーからもいろんなことをお聞きしたい。
谷 こちらこそ。嗜好品研究という立場からの議論を楽しみにしている。

総合芸術性
栗田 茶の湯というのは、先ほど言われた茶室・茶道具・点前という3大要素の中に、茶室までの路地などの外構、茶室の中の掛け軸や茶花のしつらえ、抹茶・菓子・茶懐石、主客の着る着物など非常に複雑な文化を取り込んだ総合芸術だと思う。以前我々の研究会で出した『嗜好品の文化人類学』には、各地域を研究している専門家から、紅茶・コーヒーやカートにもそれを嗜むための儀礼がある、と報告をしてもらったのだが、茶の湯ほどの複雑な要素を取り込んだ総合芸術性は、それらにはないと思う。いかがでしょうか。
谷 ほかの嗜好品の例は知らないが、文化人類学者がそう言われるのであれば、それぞれなにがしかの儀礼的なものがあるのだろう。英国のアフタヌーン・ティーは、いろいろ約束ごとがあるだろうし。
栗田 英国の事情に詳しい井野瀬さんが今日はお休みなので、彼女の意見を聞けないが、本格的なアフタヌーン・ティーは、英国ではもうやっていないと思う。逆に英国から伝わったインドには少し残っている。先日私はカルカッタでそれを体験したが、茶の湯ほど複雑で総合的なものではなかった。
 梅棹先生は、ある思想に基づいて制度や装置群が作られていたらそれは文明である、と言っておられたが、そういう意味で茶の湯は単なる文化でもなくて、一つの文明と呼んでいいと思う。しかも、その文明の総合プロデューサーは家元であって、それに千家十職と呼ばれる専門職人集団が従っている。日本文化にはさまざまな家元があるが、茶の湯ほど高度な専門性と、総合芸術性を備えたものは、ほかにない。茶の湯は日本文化の中においても突出した存在だと思う。
谷 そういうふうに言えるかもしれない。

独特の美意識
栗田 これは民博で同僚だった熊倉功さんの指摘していることだが、茶の湯の美意識というものは、ヨーロッパのように普遍的な美を主張しないで、何代家元の「好み」という表現をする。これも西洋の思考法になじまない、わかりにくい特色だ。これは西洋だけではなく、お隣の韓国の人にさえ、理解が難しいようだ。例えば今日、谷先生が「わびの属性」の最初に挙げられた「不均斉」という美意識だが、こんな歪んだ茶碗のどこがいいのだ、と韓国の人は言う。ついでに言うと、韓国の人たちというのは、非常にアスピレーション(階層向上意欲)が強くて、何百年・何世代も一つの職人に従事し、家元に従っているというのが理解できないようだ。
谷 最近は韓国でも茶文化が流行していて、理解者が増えてきているが、かつてはそうだったし、いまも一般的にはそうだろう。
白幡 私は造園の専門なので思うのだが、茶室に至る路地の飛石の配置なども、右へ行ったり左へ行ったりまっすぐではないし、捨石のようなものが配置されていることにも、先ほど栗田先生が言われた茶碗の歪みと似た独特の美意識、数寄というのがあると思う。
谷 しかもそれが、あまりにわざとらしくウケを狙ってはいけない、わびでないといけないので、そのあたりも非常に感覚的で、説明が難しいところ。一筋縄にいかないところだろう。
白幡 「数寄」で自由にやるけど、「わび」でそれをセーブするということか。そのあたりが微妙なところか。
栗田 だから茶の湯の世界の美意識というのは、パンデミック(普遍的)なものではなくて、エピデミック(特殊)なものだと思う。
藤本 ところが、普遍的な美を主張していると一般的に思われている美術の世界で、茶の湯を下敷きにしているのではないかと思われる傾向が世界的にある。モダン・アートは、傑出した天才芸術家が不朽の名作を作っているのに対して、コンテンポラリー・アートは、個人ではなく集団、主体性ではなく主客の融合。不朽の名作を目指すのではなくて偶然の出会いの重視、環境依存・文脈依存で、一時的一回的、むしろその場限りでなくなってしまうほうがよい、という考えだ。こういう要素を集めると、茶の湯の美学に近いものになる。だから、コンテンポラリー・アートのアーティストは、世界中でこっそり茶の湯の原理を盗んでいるような気がする。
谷 なるほど、そのご指摘は面白い。
栗田 お点前という行為を、一種の芸術に高めたのは大変なことだ。最近の博物館の展示の傾向として、職人さんが何か作っているところを見せるというのがあるが、観客にはその見事な手さばきや技術が、芸能の場合と違ってなかなか理解できない。見られているほうが何となくみじめな気分になってしまう。それに対してお点前は、見ていても美しい。ものを作るという行為をあそこまで美しく見せるというのは、大変な稽古を積んだ洗練の結果だと思う。お点前は芸能だと言うと、違うと言われるが、亭主の満足感・充実感というのは、それに近いと私は思う。外国の人には、あの美しさは理解できるのだろうか。
谷 外国人にわかるかどうかということはわからないが、少なくともお点前に感動したというのを私は聞いたことがない。むしろ、あんな狭いところでこちょこちょやるという全体的な雰囲気には驚くようだ。

作法
栗田 茶室へ靴を脱いで入って正座をさせられるということへの苦痛や不満は、よく聞きますね。椅子式で茶の湯をやる立礼(りゅうれい)というのは、これだけ日本人の生活が洋風化して椅子生活になっても、なかなか流行らない、普及しない。なぜだろうか。
谷 茶の湯というものが、日常的なものではなくて、非日常的な楽しみになっていることと関係あるのだろう。せっかく日常と違うことをするんだから、お茶室でやらないと雰囲気が出ない、満足できない、ということがあると思う。
白幡 茶の湯の作法も固定したものではなくて、変化してきているというお話だったし、非常に生命力のある文化だから、将来どうなるかわからない。もしかしたら、立礼が流行るかもしれない。裏千家前家元千玄室さんは、海外のあちこちで立礼でやっておられるし、武者小路千家次期家元千宗屋さんもやっておられる。
疋田 彼は立礼の普及に熱心ですね。東京では立礼でお稽古をしておられるようだし、去年文化庁の文化交流使としてアメリカ・ヨーロッパへ行って、自分で考案した組み立て式の立礼のテーブルセットを使って、あちこちで実演講演をしておられた。
藤本 茶の湯での袱紗の使い方は、キリスト教での聖杯の拭い方の影響だ、というピーター・ミルワードの説があった。日本の増渕宗一さんという美学者は、逆にあれは日本の茶道の作法をキリスト教が真似たというのだが、どちらも証拠がない。あれはどう思われますか。
谷 宣教師が来た時代には、あの作法はもう確立していたと思うので、宣教師の真似をしたという説には私は同意できない。だからと言って、茶の湯の作法をキリスト教が真似たというのも、キリスト教の本山とは距離がありすぎて無理がある。格好よくやろうとすると似てくる、偶然の一致ではないか。
栗田 茶の湯は上流の経済的に豊かな階層の文化だと思うが、逆に、秀吉の北野の大茶会を例に、非常に身分解放的だったと言われることがあるのだが、そのあたりはどうなのだろうか。
谷 抹茶は高価なものだったので、百石以上の武士、豊かな商人、農民でいえば豊かな庄屋クラスでないと嗜むのは無理だったと思う。秀吉の北野の大茶会の意図がどこにあったのかは、秀吉という人は非常に複雑な思考をする人なのでわからないが、単なる思い付きではなく、自分の富や文化性を見せびらかすという意図もあっただろう。だから、あれをもって茶の湯の身分解放性を言うのは無理があると思う

さまざまな地域の茶の飲み方・作法
栗田 利休とは別に、地方で独自に発達して残った、茶の飲み方・作法というのはあるのだろうか。例えば琉球のぶくぶく茶のような。
谷 言語や芸能の分野では、古い型が都からみると辺境に残っているという現象はあるが、琉球のぶくぶく茶にしろ、松江のぼてぼて茶、富山のばたばた茶にしろ、利休より後、むしろ明治期にできたものだ。利休より古い型を残しているというものではない。
 松江のぼてぼて茶は、もともと仏教行事や講で飲まれたものだ。今はそこから離れて飲まれている。富山のばたばた茶は、後発酵茶を使う、非常に変わったものだ。発生起源はよく知らない。
栗田 以前、我々のグループで海外の都市における嗜好品の調査をしたことがあるのだが、韓国ではあまり茶を飲まない。それは茶が仏教と結びついたものという印象があるからだということだった。
藤本 そうだったですね。でもあの後、何回か韓国に行く機会に注意してみていると、けっこう緑茶を売ってるみたいで、変わってきているようだ。
谷 韓国では水を飲む。お茶は、日本で日常的に飲むほどには飲まない。でも最近は、韓国の人もけっこうお茶を飲んでいる。流行っているようだ。中国と韓国はFTAを結んでいて、お茶は中国から随分輸入している。
疋田 韓国に、茶の湯のような確立したものはあるのだろうか。
谷 日本の茶の湯をそのままやっている人たちがいる。日本の抹茶は評判も高い。しかし、韓国の人は日本の真似を嫌って、むしろ韓国が日本に教えたのだと言いたがる傾向がある。これは朝鮮王朝時代の茶の飲み方だとか、高麗王朝の時代のだとか、五行説に基づいているとか、仏に供えるということでやっている人たちもいる。家元のような存在はないのだが、いろんなグループがあって、人数を競い合っている。百花繚乱の状態だ。非常に活気があって、盛んになっているような気がする。
疋田 そういうのも研究してみると面白いかもしれない。助成研究で、誰か大学院生が研究してくれないかな。
栗田 今日は、谷先生だからこそあまり恥ずかしいとは思わずに、興味深く面白いお話をうかがえたと思います。有難うございました
(平成23年7月23日)