嗜好品文化研究会


平成25年度第3回研究会

「嗜好品と大人の味」小林 哲

ゲスト講師●小林 哲/こばやし・てつ●大阪市立大学大学院准教授。慶応義塾大学大学院商学研究科後期博士課程単位取得退学。専門はマーケティング。流通システム、戦略的ブランド管理、地域の食文化資源に焦点をあてた地域ブランド戦略を研究テーマとする。
近年の論文は,「B級ご当地グルメの祭典『B-1グランプリ』─地域ブランドの競争と協調」(『マーケィング・ジャーナル』31(3),2012)、「食文化のグローバル化戦略:大韓民国『韓食世界化推進プロジェクト』を事例として」(『経営研究』61(4),2011)など。



はじめに
 私の専門はマーケティングで、「嗜好品」について話すのは初めてだが、一般に嗜好品と呼ばれる酒やタバコ、コーヒーは好きな方なので、嗜好品について最近思うことを話してみたい。


若者(男性)の酒離れ
 ゼミのコンパなど学生と酒を飲む機会があるが、最近の学生は昔と比べ酒を飲まなくなった気がする。一度、焼肉屋さんでコンパしたとき、最初の注文で「(白)ご飯頼んでいいですか」と言った男子学生がいた。「さあ、飲もう」というときなので、正直驚いたのを覚えている。
 [図1]は、酒類販売量(消費量)の推移である。酒類全体としては思うほど減っていないが、酒類別にみると、ビール、発泡酒が大きく減少し、代わりに、リキュール、その他の醸造酒(第三のビールなど)が増えるなど、その内訳が変化していることがわかる。
 また、[図2]は、2003年と2010年の飲酒習慣率を性別・年齢別に比較したものだが、男性の飲酒習慣率は、女性に比べ依然高い値を示しているものの、60歳以下で飲酒習慣率が大幅に減少している。特に、20歳代の飲酒習慣率は、他の年齢と比べて極端に少なく、男性、その中でも若者の酒離れが進んでいることがわかる。
 そして、この傾向は、酒類の中でもビールおよびビール・テイスト飲料において特に顕著になっている。[図3]は、ビールおよびビール・テイスト飲料の世帯主年齢別年間購入量を示したものだが、20歳代の購入量が圧倒的に少ない。
 かつて居酒屋で飲むとき「とりあえずビール」と言って注文したものだが、最近は男女を問わずチューハイやカクテルを注文する客が増えている。2011年にキリン食生活文化研究所が新社会人に行った調査(図4、5)によると、「自宅や飲食店でよく飲む酒は何か」という質問に対し、ビールを抑えチューハイやカクテルが1位となっている。これを男女別にみると、男性の1位は依然ビールだが、かつてビールが圧倒的な強さを誇っていたことを考えると、この順位の逆転は男性の飲酒の変化によるところが大きいと言える。日本の代表的な酒と言うと、日本酒や焼酎を思い浮かべるが、消費量では明治期にすでにビールがこれらの酒を上回っており、ビールは日本の国民酒だと言っても過言ではない。しかし、今、その地位が脅かされようとしている。
 では、なぜビールに代わってチューハイやカクテルが1位になったのか。その理由は「甘さ」にある。M1・F1総研が行った男性の好む酒の年齢別調査(図6、7、8)をみると、「好んで酎ハイ(甘いもの)を飲む」割合は、45~49歳が25%なのに対し、20~24歳は46%。「好んでカクテル(甘いもの)を飲む」割合も、45~49歳で11%とかなり低く、年齢が下がるにつれて増加し、20歳代で大幅に増加している(25~29歳が36%、20~24歳が38%)。
 また、若い男性に、なぜビールを飲まないか、その理由を聞いたところ、一番多かったのが「苦いから」(55%)で、二番目が「美味しさがわからない」(46%)だった(図9)。これは、アルコール嫌いだけではなく、「苦さ」が苦手で「甘いもの」が好きという嗜好の変化が、最近の若い男性のビール離れに大きく影響していることを示している。

 alcohol consumption

 purchase_volume_by_age

 favorite sake rank

 reason for disliking beer


甘いお酒に対する欲望
 少し前の話だが、ある酒造メーカーさんから新製品開発の相談を受けたことがある。そのメーカーは長らく業界トップだった。しかし、競合メーカーが低価格の新商品を投入し、市場が大きく動き出す。そこで、そのメーカーは、新たな商品を開発し、その商品に対抗しようとしたが、ちょうどそのとき、別の競合メーカーから発売された新商品が爆発的にヒットし、低価格商品を市場から追い出してしまった。その商品の特徴のひとつが「甘さ」だった。
 若い人たちを中心に甘い酒が求められていることはかなり前から知られており、私が相談を受けた酒造メーカーも十分認識していた。しかし、顧客が求める「甘さ」は彼らの想像をはるかに超えていた。彼らの言葉を借りるならば、「私たちが作ろうとしていたのは、お酒を甘くしたもの。しかし、ヒットした商品は、甘い飲み物にアルコールを入れたもの。もはや酒ではなく『アルコール入りジュース』」だったのである。甘いお酒に対する欲望がどの程度のものか如実に表す一例である。


嗜好品は誰のものか
classification  以上、嗜好品の代表であるお酒を取り上げ、最近の傾向についてみてきた。そこで見えてきたのが「若者の酒離れ」、中でも「男性のビール離れ」、その理由として「甘いもの好きの苦いもの嫌い」である。
 話が逸れるが、苦いものが嫌いと言って思い出すのが、秋刀魚の肝だ。子どもの頃、秋刀魚の肝を美味しそうに食べる父親をみて試しに食べたところ、その不味さにびっくりしたことがある。父は笑って「大人になればわかる」と言っていたが、「こんなものが美味しいなんて信じらない」と子ども心に思ったことを覚えている。
 酒についても同じことが言える。若い頃、仕事が終わると先輩に「飯に行くぞ」と誘ってもらったが、行くのは決まって居酒屋。酒は飲むが、いわゆる「ご飯(的な食事)」は出てこない。これが大人の食事だと教わった。コーヒーもそう。ブラックコーヒーが本当に美味しいと思ったのは大人になってからである。
 こうして考えてみると、年齢制限があるか無いかに関わらず、嗜好品は大人が好むものだと言える。では、性別ではどうか。それが生理的なものか社会的なものかは別にして、既に述べた通り、女性の飲酒習慣率は低く、飲むにしてもカクテルや梅酒・杏酒など甘い酒が好まれる。したがって、女性の嗜好は、男性よりもむしろ子どものそれに近いと言える。そう考えると、嗜好品は、女性と子どもを除く、成人男性のものだと言える(図10)。
 ところで、成人男性とはどのような人たちなのだろうか。男性の場合、女性と異なり、生理的に大人と子どもを区別するのは難しい。したがって、男性は、文化(権力)が介入し、社会的にそれを区切ることで子どもから大人へと変わる。その際、重要な役割を担うのが通過儀礼としての成人式である。成人式を通過した男性は、男の子から一人前の男になり、成人男性から成るコミュニティの一員となる。
 かつて、成人式を経て大人になった男性は、共同体において特別な役割を担っていた。それは共同体の外に出向き食糧を調達したり、外敵から共同体を守ることである。そのため、共同体の外で活動することが多くなるが、共同体の外はその秩序が及ばない無法地帯であり、自らの責任で何をするか判断しなければならない。また、そこにどのような危険が存在するかわからず、その恐怖を払いのけ、果敢に挑戦する気持ちが重視される。一方、ただ闇雲に突っ込んでも無駄死するだけなので、逸る気持ちを抑え、時には撤退する勇気すなわち自制心も必要となる。
 そして、こうした成人男性に求められる資質を形成する上で大きな役割を担ったのが嗜好品である。一般に、嗜好品と呼ばれるものは栄養的な価値がほとんどない。したがって、生理的には摂っても摂らなくてもどちらでもよく、その判断は使用する側に委ねられる。こうした状況の中で、成人男性に嗜好品が好まれるのは、その多くに向神経剤的な効果が含まれており、危険な状況下で物事を行うための挑戦心を鼓舞したり、その緊張を解く作用があるからだと思われる。しかし、嗜好品は摂りすぎると体を壊す可能性があり、自制心をもってそれを使用する必要がある。すなわち、薬にも毒にもなり得る嗜好品を使いこなすことが、自らが成人男性であることを示す手段となるのである。


嗜好品は美味しいのか
position_of_shikohin  しかし、成人男性にとっても、嗜好品は決して美味しいものではない。にも関わらず、嗜好品が美味しく感じされるのは、それが経験を通じて形成される美味しさだからである。したがって、嗜好品が嗜好されるには何かしら訓練的なことが必要であり、成人男性が嗜好品が好きになるのはそれを使いこなすことができるよう継続的に使用するからであり、その機会のない者の参入を拒む理由にもなる。酒やタバコ、コーヒーといった嗜好品の使用者に男性が圧倒的に多いのは、先に述べた通過儀礼的役割とともに、嗜好品が有するこの味覚が大きく影響しているように思われる。
 そして、嗜好品は、その不味さ(正確には慣れないと美味しいと思えない味)や薬にも毒にもなり得るという性質により、今、社会から排除されようとしている(図11)。
 その理由は、以下の通りである。本来、嗜好品は、成人男性すなわち共同体の外での活動を担う特別な人たちのための特別なものだった(図11の左下)。しかし、社会の進歩とともに、成人男性のそのような役割が薄れるにつれ、嗜好品は成人男性の垣根を越えて徐々に社会全体へ広がっていく。そして、その過程でひとつ問題が乗じる。既に述べたように、使い方次第で薬にも毒にもなる嗜好品は、その使用において自制心を必要とするため、社会的悪として自己コントロール力のない子どもの使用が禁止される。また、成人男性という社会コミュニティの存在が希薄化したことで、成人男性が継続的に使用する機会を失い、成人男性を含む大人にとっても、単なる「不味いもの(嫌われもの)」として社会から排除されるようになる(図11の右下)。
 もちろん、営利企業が手掛ける嗜好品の中には、現実の社会に適応することで、社会からの排除を逃れようとするものも存在する。先ほど話した甘くて美味しい酒がそうであり、カフェインレスのコーヒー、アルコール0%のビール・テイスト飲料などがそれである。しかし、これはもはや嗜好品ではなく、嗜好品の姿をした単なる飲食物に過ぎない(図11の左上)。


嗜好品だけの問題なのか
 このような傾向にあるのは嗜好品だけではない。ある意味、すべての商品が嗜好品と同じような問題に直面していると言っても過言ではない。そして、このような状況の形成に深くかかわっているのが、何を隠そうマーケティングである。
 マーケティングの中心概念のひとつに顧客志向があるが、それを国家政策として体現したのが、J.F.ケネディの提唱した「消費者の権利」である。彼は、1962年、「消費者の利益の保護に関する連邦会議の特別教書」の中で、①安全である権利、②知らされる権利、③選択できる権利、④意見を反映させる権利の4つの権利を提唱した(現在は、1975年にフォード大統領が提唱した⑤消費者教育を受ける権利、1980年に国際消費者機構が提唱した⑥生活の基本的ニーズが保証される権利、⑦救済を求める権利、⑧健康な環境を求める権利を加えた8つが「消費者の権利」と言われている)。
 当時は、商品の売買にリスクはつきもので、消費者であろうと騙される方が悪いというのが一般的な考えだった。しかし、専門知識を持たない消費者が、巨大化し高度に複雑な製品を作る企業と同等と考えるのは、あまりにも無理がある。そこで、消費者の権利を守ることで、彼らが安心して買物ができる環境を整えようというのが、ケネディの提唱した「消費者の権利」である。
 ちなみに、この政策は決して消費者のためだけのものではない。売り手である企業にとっても有益な政策である。と言うのも、消費者が安心して買物ができる環境が整うことで、商品の購入意欲が高まり、企業の売上が増えるからである。したがって、「消費者の権利」は産業促進政策だとみなすことができる。
 そして、このような政策が功を奏した例としてあげられるのが、一連の金融改革である。日本政府は、1996年から2001年に、①Free(市場原理が機能する自由な市場)、②Fair(透明で信頼できる市場)、③Global(市場の国際化)を掲げ、金融改革に着手した。そのひとつに、投資家向け情報開示(IR)があるが、企業リスクに関わる情報開示で面白いものをみつけたので紹介しよう。「経済情勢や事業環境が悪化した場合には、当社の利益に悪影響を及ぼす可能性があります」というのがそれである。投資はかつてプロの仕事だった。しかし、現在は、まったく経済について知らない人でも投資できるよう、このような至極当たり前のことも丁寧に説明し、投資が健全で誰でも参加できる活動であることをアピールしている。まさしく、金融版ケネディ政策である。その甲斐あって、1990年代、金融業界は飛躍的な成長を遂げる(とは言っても、元本が保証されているわけではなく、投資がリスクの伴う行為であることに変わりはないのだが....)。
 もっと身近な例では、賞味期限の記載もそうである。私たちは、自ら判断することなく、賞味期限にしたがい商品を消費したり廃棄したりする。しかし、昔は違っていた。賞味期限が記載されていなかったときは、自ら商品の鮮度や飲食可能性を判断し、それを消費するか否か決めていた。そのためには、知恵や感覚を磨くための学習や訓練が必要だった。人々は、失敗や試行錯誤を繰り返し、賢い消費者すなわち大人へと成長していく。その象徴が成人男性であり、彼らが消費する嗜好品だった。
 そして、今、消費者の権利という名のもとの産業促進政策により、嗜好品に限らず、このような賢い消費者になるための学習や訓練機会が失われつつある。


大人消費の象徴としての嗜好品
 その一方で、大人すなわち賢い消費者が求められるのもまた事実である。昨今のグローバル化の進展やインターネットの普及により、国家の秩序が及ばない世界が急速に広まっている。そこはまさに未開の地であり、かつての共同体における成人男性がそうだったように、リスクを負いながら自らの判断で世界を切り開く必要がある。これは、かつての成人男性およびその象徴である嗜好品的消費文化が、現在、形をかえて再び必要とされていることを意味する。
 最後に、以上の議論を踏まえて、このままでは消えゆく運命にある嗜好品および嗜好品的消費文化をどうしたら維持できるか考えてみよう。まず、嗜好品が成人男性、すなわち、すべての人のものではなく特定の人のものであることを再認識すべきである。ここで言う特定の人とは、的確な判断力と自制心を有し、いわゆる「大人の消費」ができる人を意味する(必ずしも男性に限らない)。また、このような人間になるには、何らかの学習や訓練が必要となり、そのための仕組みも必要となるであろう。そして、この種の仕組みは、かつての通過儀礼のように、それをクリアした人とそうでない人を識別する要因となり、同じ資格(価値観)を有するコミュニティが形成されるきっかけとなるであろう。「現代版成人男性コミュニティ」の誕生である(何度も言うが、必ずしも男性に限らない)。
 グローバルな世界やインターネットの世界は、かつての共同体の外側と同様、秩序の及ばない無法地帯である。このような世界で活躍する人々、そして、そのような人々を象徴するものとして、嗜好品および嗜好品的消費文化は大きな役割を担う。もしかしたら、新たな嗜好品が生まれるチャンスかもしれない。
(平成26年1月11日)