嗜好品文化研究会

嗜好品文化への招待
【1-6】ヒラメの造りを「美味」に感じるようになるまで


 ここまで、人間の嗜好には「生理的嗜好」と「文化的嗜好」という二つの位相がありそうだと述べてきました。では、人間の嗜好の位相は、この二つに限られるのでしょうか。


 日本人の嗜好については、たとえば「旬の魚と野菜をおかずに米のご飯を食べるのが好きだ」といった一般的な傾向が取り出せるでしょう。でも、年齢や性別や階層などが異なると、それぞれの嗜好には微妙な違いがあります。
 高齢者には淡泊な味が好きな人が多そうだし、若者は概して脂っこい料理を好みます。女性は男性に比べて甘いものが好きだといった傾向も否定できません。
 もっと細かく見ていくと、個々の人ごとに嗜好は異なります。ビフテキに目のない人、ラーメン大好き人間、動物食を忌避する人などが、ちょっと身辺を見渡すだけで見つかります。それは、食をめぐる一種の「下位文化(サブカルチャー)」だといえそうです。
 こうした嗜好の違いについて考えるために再び、ぼく自身の食生活体験を振り返ってみます。すると今ひとつ、「情報的嗜好」とでも呼ぶべき位相がありそうに思えます。ここでいう「情報」は、個々の人がそれぞれ偶然に出会った「これがおいしい」という話や実際の食味体験などの総体を意味するものだと考えてください。


 それは、こういうことです。たとえば、ぼく自身の好物は、じつに多様な食品や料理に広がりますが、その一つに、ヒラメの肝を溶かした醤油をつけて食べるヒラメの刺身があります。よく冷やしたうま口の酒に、これ以上の肴はなかなか見つかりません。
 この料理法は最初、行きつけの魚屋のおやじさんに習いました。以来、新鮮なヒラメを目したときに、夕食の一品として重宝してきました。ぷりんと活かった薄造りの淡泊な味わいに、肝の濃厚なうまみがかぶさります。それが、わさびの香りの効いた醤油の味に見事に溶け合います。それを酒で洗い流しては、また肴に箸を運ぶわけです。


 当然そこには、空腹という生理的要請に応える「生理的嗜好」の位相があります。日本料理の典型の一つである造り(関東では「刺身」と呼ぶ)への「文化的嗜好」も関与しています。しかし同時に、やや特殊な料理法、年齢を経て経験した多様な食味の果てに、淡泊を背景としながらも、ある種のメリハリを求める方向に流れはじめた味覚を含めた個別的な嗜好の位相が、この料理を好む条件の一つとなってもいます。
 むろん、こうした嗜好が、複数の人々に共有されることもあります。しかし、実際には個別的、もしくは比較的少数者にだけ、あてはまる場合が多いようです。そしてそれは、他者やメディアから入手した素材や調理の知識や情報、過去の食事体験、それに導かれた個別の食味の記憶や評価などが複合的に作用して形成されるのだと考えられます。という意味において、たとえば「情報的嗜好」と呼ぶことができるのではないでしょうか。

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