嗜好品文化研究会

嗜好品文化への招待
【3-4】ひたすら美味を追求する中国の茶の文化


 前項で見たように、茶は中国から日本に伝わりました。茶の文化に関して中国は「日本の先輩」だったのです。ただし、茶の原産地は、中国といっても、その南西部、東南アジア地域に接する雲南省あたりだとされます。で、その学名はCamellia sinensis──ツバキの近縁種だということが分かります。
 それらは、約2000万年までの温暖な時代には広く北半球全域に分布していました。ところが、気候の寒冷化と共に分布域が、温暖多雨の中国・雲南省の西双版納を中心に東は貴州省、西は東南アジアの、いわゆる照葉樹林にせばめられたのです。それでも、世界中に30属500種を数えるツバキの仲間のうち、15属260種がこの地域に存在しています。
 ただ、原産地とその周辺では最初、茶は、その葉を塩漬けにし、発酵させて食べるものだったようです。現在もタイ・ラオスの「ミアン」、ミャンマーの「ラペッソ」、中国雲南省の「ミエン」など、発酵茶を食べる文化があります。


 その茶が大昔、中国の中原に伝わり、そこで湯煎して飲まれるようになりました。こうした意味での喫茶の習慣は、約2000年前、前漢(B.C.206〜A.D.8)の時代に始まったとされます。やがて南北朝時代(439〜589)に、それが仏教寺院で「眠気覚まし」として重宝されるようになり、唐代(618〜907)に広く普及しました。そんな時代に陸羽という人物が、茶をめぐる網羅的な知識を『茶経』という古典的な書物にまとめています。
 ところで、このころまでの茶は、すべて団子のように突き固めた固形茶(団茶)でした。それを砕いて煮出し、ときにショウガなどの薬味を加えて、一種の「スープ」のように飲んでいたようです。しかし、時の流れと共に茶の飲み方は、純粋にその味と香りを楽しむ方向に変化していきます。ただし、宋代(960〜1279)を経て元代(1271〜1368)に至るまで、中国の茶は固形茶でした。
 それが明代(1368〜1644)に、茶の葉をそのまま湯に浸す煎茶に変化します。ちょうど日本で抹茶を用いた茶の湯が誕生した時期に起こった変化だといっていいでしょう。こうしてみると中国では、ある意味で日本と正反対に、固形の茶のかわりに、茶の葉をそのまま使う「煎茶への変化」が起こったことになります。
 その後、清代(1644〜1912)においても、中国の茶は煎茶でした。ただし、その味を楽しむために、用いる水に強くこだわるようになったようです。たとえば、清代に記された長編白話小説『紅楼夢』に、こんなエピソードが出てきます。いわく、
 「茶には、さらっとした旨味を出す水を使わねばならない。たとえば深い山の寺の、梅に積もった雪を磁器の瓶に入れて5年、みごとな味わいになった水で淹れた茶が良い」


 ここに来て中国の茶は、徹底して個人の好みに合致する、ひたすら美味を楽しむための飲料になったようです。それは「物質文化としての喫茶」の究極の形だと言えるでしょう。つまり、ついに中国では日本の「茶の湯」のような「精神文化としての茶」を生み出すには至らなかったということにもなります。

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