嗜好品文化研究会

嗜好品文化への招待
【1-2】トマトと酒


 通常の飲食物に関して、ぼくには基本的に「嫌いなもの」がありません。しかし、昔を振り返ってみると、「思いだすのさえ、いやだった食品」があります。トマトです。


 それは一〇歳ごろ、京都の下町に住んでいたころの話です。ある夏休み、虫取りのために田舎の叔父の家に遊びに行ったのですが、午後のおやつに、まだ完熟せずに緑の部分の残ったトマトに砂糖をまぶして食べたのです。それ自体は、おいしかったのだと思います。
 ところが夕食後、吐き気が起こり、極端に気分が悪くなりました。トマトが原因だったわけではありません。たぶん夏風邪をひき、それで腹具合がおかしくなったのでしょう。しかし、それ以来、トマトを目にすると、そのときの吐き気がよみがえるようになりました。結局、一五歳ぐらいまで、トマトが食べられなくなりました。トマトが「嫌いな食品」になったのです。
 なにかを食べて、ひどい不快感に出会う──すると、それが「嫌い」になり、忌避するようになるようです。人間だけではありません。おなじ現象は、ラットにも観察されるといいます。その点で嗜好は「可塑的である」ということになるのでしょう。
 ただ、少なくとも人間の嗜好には「弾力性」もあります。さきに「一五歳ぐらいまで」と記したように、そのころに「どんでん返し」が起こったようです。詳細は忘れましたが、あるとき、完熟トマトを加えたスクランブルエッグを食べたのです。これがうまかった。それ以来、トマトを忌避するぼくの嗜好は払拭されました。


 それから三年ばかりのち、高等学校を卒業した直後の三月末、友人三人と大酒を飲みました。それ以前にも少量の飲酒体験はあったので、さまざまな酒のなかでも、とくに清酒が美味なことは知っていたのだと思います。しかし、当夜の飲酒量は一晩に四人で清酒六升に及びました。一人あたり一升五合の清酒は、強烈な泥酔をもたらすに足る量です。実際、ある時点から後の記憶は、まるで残っていません。
 ただ、どうしたものか、その夜は、一人暮らしの下宿に帰って眠りについたようです。ところが、目覚めて驚いたのですが、酒盛りの夜から数えると、二晩を眠り続けていたのです。当然、心身には、強烈な「三日酔い」の苦痛が残っていました。
 そうであるにもかかわらず、酒を忌避する傾向は発現しませんでした。さらに、このときほど強烈ではないにしろ、その後も繰り返し、強い酩酊に伴う苦痛を味わってきました。それでも酒が嫌いになることはなかった。何故なのでしょうか。


 そのことを、脳科学者の鳥居邦夫さん(味の素(株)ライフサイエンス研究所上席理事)に聞いたところ、非常に明快な答が返ってきた。いわく、
 「ある食品を摂取したあと、強い不快感があると、脳はそれを忌避するよう可塑的に変化する。ただし、そのためには脳が覚醒していなければならない。酩酊時には覚醒という条件が満たされていない。したがって、その可塑性が発現しない」
 食後の不快感からトマトが嫌いになったときと、飲用後の不快感にもかかわらず、酒が嫌いにならなかったときとでは、脳の状態がまるでちがったというわけです。

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