嗜好品文化研究会

嗜好品文化への招待
【2-3】緊張の緩和、出会いの媒介、インスピレーション


 そこで「嗜好品」という日本語の初出について調べてみました。最も古い用例の一つは、森鴎外の短編小説「藤棚」にあるようです。この小品は雑誌『太陽』(第18巻第9号)に掲載されました。1912(大正元)年のことです。それを、つぎに引用しておきます。


 薬は勿論の事、人生に必要な嗜好品に毒になることのある物は幾らもある。世間の恐怖はどうかするとその毒になることのある物を、根本から無くしてしまはうとして、必要な物までを遠ざけやうとする。要求が過大になる。出来ない相談になる。

 こうした物言いの背景には、急速な「近代化」という当時の世相があります。そんな時代、従来なら生まれ育った田舎の村で生涯を終えたはずの人々が、たくさん「都市」に移り住みました。そこでは新しい社会組織が生まれ、未知の人間関係に馴染むことが求められます。こうした変化は人々に「慣れない緊張」を強いることになりました。
 そんな緊張を緩める方法のひとつがコーヒーや茶・紅茶、酒やたばこなどの「嗜好品」を嗜むことだったのではないでしょうか。実際、これらの嗜好品は、人間の心身に微妙に作用して緊張を緩め、人と人の出会いを媒介し、相互の意思疎通を円滑にするという役割を果たしてくれます。それらを森鴎外は「嗜好品」という見事な造語で捉え直したのです。
 今ひとつ、森鴎外が、この文章を書いた10年ばかり後に、アメリカでは「禁酒法」が施行されます。しかしこの法律は、わずか10年余り後に廃止されました。「飲酒の弊害」より「禁酒の弊害」の方が大きかったからです。森鴎外の言葉をそのまま借りると、「要求が過大にな」り過ぎて「出来ない相談」になってしまったわけです。


 それから、さらに100年近く、現代社会には、多忙や複雑な人間関係の軋轢、余りに速い時代の変化、騒音や汚染など、実に多様なストレス要因が満ちています。当然それらをうっちゃって快適な生活を送ろうと、さまざまな工夫が凝らされるようになりました。こうした方途の一つが「嗜好品を嗜む」ことなのではないでしょうか。
 というのも、コーヒーや茶・紅茶、多様な酒やたばこなどを摂取すると、ちょっとした気分転換や安らぎが得られます。ささやかなストレス解消効果を発揮してくれるわけです。
 それだけじゃない。【2-1】で紹介した吉村文彦は、同じエッセーのなかに、こんなことも書き残しています。


 コーヒー椀の縁が正に唇と相触れやうとする瞬間に、ぱつと頭の中に一道の光が流れ込むような気がする。と同時に、やすやすと問題解決の手掛かりを思付くことが屡々あるやうである(前掲論文)。

 これとよく似たことは、ほかの嗜好品にもあてはまるように思われます。茶や紅茶、あるいはたばこが、コーヒーの代わりをしてくれることもあるはずです。お酒の席の談論風発が、新しいアイデアを生み出してくれる場合も少なくなさそうです。
 つまり嗜好品は、ときに人の精神と頭脳に、好ましいインスピレーションを呼び起こしもするのです。それは、新しい知恵とアイデアの開発が、ビジネス全般にとって非常に大きな意味を持つようになった時代の、ある意味では「必需品」なのかもしれません。

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