嗜好品文化研究会

嗜好品文化への招待
【2-7】「嗜好品」の楽しみから人間と社会の未来を考える


 酒、たばこ、コーヒー、茶・紅茶など、いわゆる「四大嗜好品」に関する研究は、これまでにも多数の先達によって試みられてきました。それぞれの起源や歴史、人間の身体や精神におよぼす影響などに関しても、膨大な学問的蓄積があります。
 ところが、これら既存の研究や知識では、これまでに紹介してきた簡単なインタビュー調査やアンケート調査の結果を明快に説明することができません。現代という時代には「嗜好品をめぐる新しい状況」がもたらされているからです。


 そこで「嗜好品」という、本来は大きさが限られていた「窓」を広げたり、せばめたりしながら、「現代」「社会」「文化」「人類」「文明」「歴史」との関係を広く展望してみようと考えて「嗜好品文化研究」に着手することにしたのです。こうした試みを積み重ねれば、「嗜好品という窓」から展望できる、その「未来」を切り拓く新しい視角を発見することができるのではないかというわけです。


 今ひとつ、これまでの学問や研究は、しばしば、その出発点を「人類の苦悩や不幸」に設定してきました。社会全体としても「貧しさからの解放=マイナスをゼロに」を実現しながら「豊かさを追求すること」に最大の関心が払われてきました。しかし今後は、少し視点を変える必要がありそうです。
 たしかに未だ、世界には「貧しい地域」がたくさんあります。しかし、現代日本をはじめ、世界の先進地域の多くは、とりあえず、その課題を達成しました。とすれば「ゼロをプラスに」という視点を大切にすることが必要となるように思えるわけです。


 ところが、それを「さらなる豊かさの追求」によって実現するには、新たな困難が伴います。これ以上の豊かさの追求は「地球環境の制約」という現代的な課題と対立する可能性が大きいからです。しかも、実現された「豊かさ」は「さらなる豊かさ」への欲望を呼び起こします。いわば「豊かさ」は、満たされれば満たされるほど「単位あたりの豊かさの限界効用」を減少させざるをえないのです。
 分かりやすく説明すれば、それはこういうことです。たとえば、空腹時の1個のパンは、非常にありがたいものです。しかし、2個目、3個目になると、腹がふくれてきます。すると当然、そのありがたみは低減します。主として「富の量」を求める「豊かさ」もまた、一定の水準を超えると、単位量あたりのありがたみが低減していかざるをえないのです。


 それに対して、ふだんの生活のなかの「楽しみ」は「量」よりも「質」の問題に深く関連しています。興味を惹かれる領域を堀り起こし、その範域を広げ、深めていくこと、あるいは、心と体を楽しませるための、さまざまな工夫や、ちょっと気分を変えて生活にメリハリをもたらすこと──こうした局面では「量」を増やすことではなく、「質」の多様性を追求することによって、多様な「楽しみの世界」が開けていくのではないでしょうか。
 そうした「楽しみ」をもたらす要因の一つに「嗜好品」と呼ばれてきたものの活用と、その現代的な展開があるように思われます。嗜好品をめぐる文化を多面的に考え直すことには、そんな意味がはらまれてもいるのではないでしょうか。

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