嗜好品文化研究会

嗜好品文化への招待
【3-1】アレクサンドロスとスパイスロード


 これまで、現代日本における嗜好品イメージとその多様性について述べてきました。ここからは人類文明史も果たした嗜好品の役割について考えてみます。


 そこで最初に思い出すべきは、紀元前4世紀の地中海世界でしょう。この時代、マケドニアから出たアレクサンドロス大王(BC356 〜 BC323)は、ギリシャの軍隊をひきいて、小アジアからエジプト、ペルシャ、インドに至る遠征を試み、巨大な帝国を築きました。
 なぜ彼は、そんな長大な遠征に出かけたのでしょうか。その本来の目的が版図の拡張にあったことは論を待ちません。しかし同時に、乳香(フランキンセンス)と没薬(ミルラ)という香料の入手も重要な目的だったようです。


 乳香は、ボスウェリア属の樹木が分泌する樹脂です。その樹液が空気に触れて乳白色に固まることから乳香と命名されました。焚いて香とし、あるいは香水の原料とするほか、生薬としても用いられます。主産地はアラビア南部、東アフリカ、インドなどです。
 没薬は、ミルラノキ属の樹木が分泌する樹脂です。主産地は乳香と重なりますが、ほかにマダガスカルでも採取されます。いい香りがすると共に、殺菌力を秘めているので、古代エジプトではミイラ作りに使用されました。ミイラが転じて「ミルラ」の名の元になったようです。
 これらの香は、古代エジプトで神に捧げられました。カトリックの教会でも焚かれます。イエスの誕生を祝って訪れた東方の三博士が、黄金と共に持参した貴重品でもありました。


 さて、そこでアレクサンドロスです。『香りの本:芳香を楽しみ、豊かな暮らしを演出する』(松栄堂広報室編、1986、講談社)を参照すると、非常に興味深い記述が見えます。
 いまだ少年であったアレクサンドロスが、ある日、祭壇で盛んに乳香を焚いていました。それを彼の家庭教師だった大哲学者のアリストテレスがとがめて叱りつけたといいます。
 「香料が豊富なシバの国を征服したあとなら、じゅうぶんな乳香を焚いてもいい。しかし、それまでは節約しなさい」
 まずしい国であったマケドニア王家にとって、高価で貴重な乳香を粗末にすることは許されなかったようです。
 やがて20歳で即位したアレクサンドロスは、紀元前334年、東方に兵を進めます。まずは大国ペルシャを制覇し、続けてシリア、レバノン、フェニキアなどの都市を征服していきました。これらの都市は、いずれも乳香や没薬を産出する地域に立地しています。幼少のころ、師に叱られた古い記憶が、彼の進路を決めたのだとしても不思議はありません。
 実際、大王となった若者は、エジプトに近いパレスチナのガザを占領したとき、故郷にいた師のアリストテレスに乳香と没薬を送り届けています。


 この大王の遠征の結果、古代ギリシャの文明や美術が、シルクロードを通って、ついには天平の日本にまで伝わりました。そのシルクロードは、しばしば「スパイスロード=香辛料の道」ともよばれます。それがユーラシアの歴史に果たした役割の大きさは、あらためて説明する必要もありません。
 そのきっかけに乳香や没薬といった嗜好性の強い香料のあったことは非常に興味深いのです。

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