嗜好品文化研究会

嗜好品文化への招待
【3-2】香辛料が開いた大航海時代と近代世界


 シルクロードを経由して飛鳥時代の日本に伝わった香辛料に、熱帯アジア、モルッカ諸島原産のクローブがあります。7世紀初期に建立された法隆寺の五重塔の地下に埋められた「仏舎利(オシャカ様の骨)」の容器にクローブが入れられていたのです。
 それは、フトモモ科の植物の開花前の花蕾を乾燥させたもので、一見「釘」のように見えます。それで「丁子」という日本語が充てられました。ちなみに、フランス語でも「釘」を意味するClouの名で呼ばれます。それが英語のクローブcloveの語源となったとされます。
 その後、ぐっと時代がくだった14世紀、イタリアで開花したルネッサンスのあと、15世紀に大航海時代の幕が切って落とされます。1492年にコロンブスがアメリカ海域に到達し、その30年後の1522年にマゼランが世界一周航海に成功するのです。彼ら航海者たちの目的は、いうまでもなく熱帯アジア産の香辛料、つまりスパイスでした。
 ここでいう香辛料には、さきのクローブのほか、コショウ(胡椒:ペッパーpepper)、ナツメグnutmeg(ニクズク:肉荳蔲)、シナモンcinnamon(肉桂)などが含まれます。冷蔵庫のなかった時代、これらの香辛料は、まず肉の保存に役立ちました。くわえて料理や菓子に好んで使われました。独特の風味が付与され、格段に味が良くなるからです。


 しかし、これらの香辛料は、それがなければ「生きていけない」という「必需品」ではありません。という意味において「嗜好品」の範疇に含めるほかない品物だといえます。
 しかも、それらは驚くほど高価でした。実際、大航海時代が始まるまで、たとえばコショウの価格は、同じ重さの銀に匹敵したとされます。そのため、それを消費することのできる富裕層のステータスシンボルとしても重用されました。つまり香辛料は「贅沢品」であることによって、嗜好品としての資質を一層きわだたせたのです。
 不思議はありません。香辛料の生産地である熱帯アジアの西側には、商取引に長けたインドやイスラム世界の商人たちが強大な勢力を誇っていました。原産地のモルッカ諸島から、主として陸路を通じて、これらの香辛料がヨーロッパに伝わるまで、あいだを取り持った商人たちが莫大な利益をかすめとったのです。
 ならば、みずからの手でヨーロッパに運ぶことによって、莫大な利益が手に入ります。大西洋をひたすら西に向けて進めばアジアに到達できると考えたコロンブスも、その利益を重要な目的の一つとしていました。ただし、彼は地球の大きさを20パーセント程度、小さなものと想定していたようです。結果、最初に到達したのは、西インド諸島に属する島でした。
 それから6年後の1998年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが、アフリカ南端の喜望峰を経由するインド航路を切り開きます。すると、それまで香辛料の中継地として栄えていたベネチアの取扱量が一挙に四分の一に減少しました。奇しくも、同じイタリアのジェノバ出身のコロンブスが、ベネチアのその後の衰退のきっかけを作ったのです。


 それはともかく、ヨーロッパ大陸に限られていたヨーロッパ人たちの世界が、こうして地球規模に拡張された近代世界へと展開していきます。その最初の一石が、香辛料という名の嗜好品によって投じられたのです。きわめて興味深い成り行きだといわざるをえません。

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