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遊気舎デヴィッド・ルヴォー惑星ピスタチオ|| 事業趣旨
1995年シンポジウム1996年ワークショップ舞台芸術総合センター(仮称)計画


記念講演
「この世はすべて一つの舞台」
"ALL THE WORLD' S A STAGE"

セルマ・ホルト/プロデューサー



 日英はたいへん建設的な友好関係を築いてきました。嵐の時代もありましたが、相互の敬意と、敬意を超えた芸術家達の間に生まれた愛情が、友好関係の形成に大いに貢献しました。

 私の学生時代に、卒業式の来賓であった大女優が講演の最後で「国において、芸術、特に言葉を使う舞台芸術では、競争しても繁栄はない。協力があってこそ栄えるのだ」と言われました。時を経て、私が講演をすることになり、その言葉に「協力とコミュニケーションがあってこそ、国も舞台芸術も繁栄するのだ」と付け加えています。
 今日、技術進歩によりコミュニケーション能力は劇的に変化し、それにより芸術家にも新たな責務が生じました。

 英国では、今年から各地域で独立した地域芸術評議会を作りました。そこで論議された最重要課題が、いずれの地域でも「私たちの芸術の未来」であり、若い世代の育成や現代的な作品の継承を考えることでした。新しい血を注ぐことなしに、受け継いだ資産を将来に伝えることはできません。
 若い人たちを勇気づけ育てなければなりません。可能性はあるが開花していない人たち、将来がありながら観客が集まる保証のない芸術家に対し、何ができるか考えなければいけません。
 そのために地域での活動が重要です。英国には10の地域があり、その地域劇場では、地域社会をいかに巻き込んで劇場活動を行うか、住民が望んでいるものに加え、どういう感動を住民に与えていくか考えています。いきいきしたエネルギーを与えるような作品は、住民の足を劇場に運ばせるものです。

 私が学生時代に知っていたのは英国の劇作家だけでした。外の世界でどのようなことが起こっているかも勉強したかったと今では思います。
 私が若い頃には、海外の演劇作品は言葉の問題があり、観る機会がないと言われたものです。
 しかし、ここ5年間、様々な国の人々が作品上演のため英国を訪れました。言葉の問題というのは、芸術を愛する人たちの能力を過小評価しすぎではないかと思います。観客は、言葉が違っても作品を感じとることができるのです。
 現在では英国でも、海外の芸術活動が紹介され、導入されるようになりました。このような活動は今後も拡大、継続しなければなりません。
 一方、私たちも、自国で何が起こっているかに目を向け、質のよい作品をつくることが必要です。私たちの芸術活動の質が良ければ、人々は私たちと仕事をしたいと思ってくれます。
 共同制作も、もっと多く行なわれてほしいと思います。国籍の異なる俳優たちとの共同制作は、オペラでは当然のことであり、今日では演劇でも行なわれています。
 1979年、ソ連(グルジア)の劇団が訪英公演を行いました。初日には、その直前に起こったソ連軍のアフガン侵攻に抗議する2000人が上演反対のデモを行いました。しかし翌日には、劇団を追い出すなと言うデモが起こり、やがてデモ行為はなくなりました。そこで私は初めて理解したのです。このように困難な時期、変動の時期にあって、芸術家というものは、すべての人々に対して門戸を開き続ける力をもっていると。
 我々の活動は有能な大使の役割を果たすのです。これは他の交流を促進する手段と比較しても安価であり、しかも強力です。
 私は、大阪市で新しい劇場を建てようとしているというきわめて関心の高い時期に日本に来ることができました。
 建築家が設計する前に、何がいい建物なのか、劇場を使う芸術家達の意見を聞き、俳優や芸術家にフレンドリーな視点で計画しないと芸術活動のためのものにはなりません。
 他の国々の優れた点や失敗を学ぶことも重要だと思います。英国にも先見性がなく芸術家の声が反映されていないため、新しくても役に立たない劇場が作られました。そんな失敗を繰り返してほしくはないのです。

 こうして招かれるばかりでなく、日本からも私どもの国々にいらっしゃって、お互いの考えを交換したいと思います。芸術に携わる人々が、もっと強い絆を持ってコミュニケートし、協力することを望みます。
 最後にシェークスピアの言葉を引用します。「愛は、愛ではない。それは変貌し、痕跡を残すのみ。しかしテンペストを見よ。それは揺らぐことはない。」
 私どもの間にも、このような関係が揺るぎなく続くことを望んでいます。

(プロフィール)

セルマ・ホルト/プロデューサー:

1968年、チャールズ・マロウィッツと共にオープンスペース・シアターを創設。後にピーター・ホールに招かれてナショナル・シアターに入り、2年間、外国招待劇団の制作にあたり、ローレンス・オリビエ/オブザーバー紙の演劇部門・優秀功績賞、雑誌「ドラマ」の特別賞を受賞。1989年にピーター・ホール劇団の総合プロデューサー、1990年からは会社を設立し、数々の演劇の制作に携わる。1993年、芸術協議会の演劇諮問委員に就任、1994年にはミドルセックス大学より名誉博士学位を受け、同年の女王誕生日の勲章授与式でCBE(大英帝国勲章)を授与される。

宛先・お問合せ先

大阪市市民局文化振興課「ワークショップ」係
〒530 大阪市北区中之島1ー3ー20
TEL. 06-208-9167

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Performing Arts Symposium Osaka 95 Page (2.lecture)
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